日蓮宗 宝林山普賢院寂光寺 通称江口の君堂

今回は大阪市東淀川区南江口3に所在します江口君堂を紹介します。

淀川と神崎川、安威川にはさまれた東淀川区は“川の町”です。
 その北東の南江口一帯は古く「江口の里」と呼ばれていました。江口は淀川が神崎川へ入る分流点で、地名は”江(川)”の”口”に由来します。


宝林山普賢院寂光寺 本堂

宝林山普賢院寂光寺 本堂2

江口君堂は正式には「日蓮宗宝林山普賢院寂光寺」と号し、江口の君が草創したと伝わっています。江口の君は平資盛(たいらのとももり)の息女で妙といい、平家が没落後、乳母の郷里であった当地に寄寓することになったが、歳月を得て遊女に身を落とすに至った。

西行法師と遊女・妙が詠った問答歌の石碑

1167年(仁安2年)西行法師が天王寺に参拝の途中、この地を通行中、にわか雨に会い、江口の君に雨宿りの許しを願ったが断られた。法師が歌を詠んだところ、江口の君も詠み返し、ついに歌を楽しみながら一夜を明かしたといわれている(この問答歌は『新古今和歌集』にも所載されている)。

石碑正面右側には、世の中を厭ふまでこそ難からめ かりの宿りを惜しむ君かな

 (あなたが出家することまでは難しいにしても、宿を貸すことぐらい、惜しまずとも良いではありませんか。)

西行法師と遊女・妙が詠った問答歌の石碑2

石碑正面左側には、世を厭ふ人とし聞けばかりの宿に 心とむなと思ふばかりそ

  (「仮りの宿」に、一夜の宿を借りる意味と仮りのこの世の意味とを掛けて、世を捨てて出家した人と伺ったからこそ、こんな仮りの宿に執着なさるなと思うだけです。)

ちなみに、この西行と妙之前の出会いを題材にしたのが能の「江口」です。

君塚・西行塚

それからまもなくして、妙は発心して二十五歳の若さにして黒髪をそり落として仏門に入り、尼僧(光相比丘尼)となりました。彼女が庵を結んだのがこの寂光寺の始まりと言われ、境内に西行塚、君塚、歌塚などがあります。

江口君堂 燈籠

創建当寺の本堂は、元弘・延の乱で焼失。現在の建物は正徳年間(1711~16年)の再建であるが、1960年(昭和35年)の大改修、1981年(昭和56年)の屋根瓦葺替を得て、現在に至っています。


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